『Battlefield V(バトルフィールド V)』の競技モード実装を前に、エレクトロニック・スポーツ・リーグ(ESL)社が運営する、そのゲームにおいての世界最高クラスの大会 ESL Oneの『バトルフィールド4』2015年世界大会チャンピオンのjikA氏がTwitterで自分のこれまでの道のりを振り返りつつ、『BFV』における競技モードへの期待を語りました。
ESL Oneの2015年度世界大会でのjikA選手と言えばリボルバーによる精密なヘッドショットの連打、完璧なリコイルコントロールによるレーザービームの如きAEKさばきに、AEDの大胆な使用で並み居る強敵たちを次々となぎ倒していった無双っぷりが今でも頭に浮かびます。
jikA become the ESL One World Champion Winter 2015 - Highlights - YouTube
プロシーンにチャレンジするなら避けられない、コミュニティからの批判とやっかみ。そんな中で選手として成長し『バトルフィールド』の競技シーンを支え盛り上げていくものの、ゲーム企業に冷遇されてしまう。目まぐるしい発展を見せつつも、どこか掴みどころがなく分かりづらいeスポーツという業界。今回のjikA氏の独白は、そんなどこか雲の上を思い起こさせる業界を間近に感じさせてくれる、貴重な体験談です。
2015年度JCG Premier Grand Finalsで優勝したチーム「CarryMe」のコーチを務め、日本でのeスポーツの発展にも尽力してくれた氏ですが、氏にとっての競技シーンとはなんなのか。選手としての挫折や成長。BF競技シーンの隆盛と衰退。どうして『バトルフィールド』の選手という道にこだわったのか。赤裸々に語られる世界チャンピオンの生の声をともに見ていきましょう。
苦難と成長の『バトルフィールド3』
「どうして別のゲームでプロを目指さないんだ?」
これはここ数年来一番よく聞く質問なので、プロにとってゲームを変える事はいかに難しいかを説明しようと思う。ただ、その前に私の身の上話をさせてもらおう。
私は『バトルフィールド』の競技シーンに参加する前からたくさんのFPSゲームを遊んできた。とても若い頃から『CoD』の1、2と4を何年も遊んで、『CS:S』で初めて競技の世界にデビューしたんだ。一方BFシリーズは『BF1942』からずっとカジュアルにしか遊んでいなかったんだ、『BF3』の試合に招待されるまではね。そう、『バトルフィールド3』がeスポーツキャリアにおいての私の本当のデビューだったんだ。それは『CS』で既に何年も経験を積んだあとの事で、2012年の頃だったな。私の初のオフライン大会(Gamers Assembly 2012)は破壊的だった。たくさんの相手を打ち負かして、優勝こそはしなかったけど、良い成績を残せたんだ。
そのオフライン大会の成績は13位だったかな。大会直前にDICEが大きいパッチを当てたんだけど(覚えているかな、制圧効果を鬼強化したパッチだ)。このパッチのせいで私のそれまでのプレイスタイルはとても弱くなってしまい、そして環境は個人のスキルよりもチームプレイに重きを置くようになり、同時に私はとても重要な事を学んだんだ。「仲間といえども親睦を深めるまでは、決して信頼するな」だ。
まぁ、この大会での成績自体はそれほど悪くはなかったよ。良い感じの記録を残して、チームでも自分の役目を果たしたしね。ただネットの皆はそうは思わなかったみたいで、散々あることないことけなしてきたんだ、私の試合を本当に見ていた人なんてほとんど居なかったのにね。そしてそこから一年間、その苦難はずっと纏わりついてきた。そう、一年もの間無責任な批評に晒され続けていたんだ。私のオンラインやオフラインでの成績がちょっと良いからって、悪口や挑発に陰湿な嫌がらせのオンパレードだ。なのに本当に私の試合を見に来たり、もしくはトーナメントそのものを見に来た人はその中で一人も居なかった。
競技の世界はそこが非常に不親切だ。皆が自分のエゴや商売を邪魔されると、すぐに君を力づくで押しやろうとする(商売っていうのは、プレイヤー的な意味でだね、対戦相手はもちろん商売敵だった。2019年の今となっては、もうちょっと政治的な要素も絡むな)。どこもかしこも、特にフランスの大会界隈では私の悪口だらけだったよ。でもそこで諦めずに続けていった結果、誰が真にフランスの王者に相応しいか証明する機会を得たわけだ。2つのオフライン大会に出場してね、片方の小さい大会は2位で終わったけど、もう片方のフランス最大の大会では晴れてチャンピオンの称号を得た。これは2013年の事だったな。
全盛期の『バトルフィールド4』
そして『バトルフィールド4』のeスポーツが2014年に開催されることになる、そう、ESL Oneだ!ただこのESL Oneを『バトルフィールド』にまで引っ張ってきたのは実は私達だということは知っていたかな? 当時はフランスという枠からさらに羽ばたくための手段にしか思っていなかったんだけど、予想だにしていなかったのは、いざ始めてみれば『BF3』の頃と全く同じやつらに足を引っ張られる事になったという点だ。そう、コミュニティの皆だ。
その粘着加減たるや、自分や自分の名前に対する他人の印象を変えるというのは本当に不可能な事に思えたほどだ。ほとんどの人は「他人の意見なんて気にするな」と言うんだろうけど、信じてくれ、「他人の自分に対する印象はとても重要」なんだ、何故ならそれこそが自分を定義してしまうものだからだ。
なので私は試合だけでなく、自分自身に対しても戦いを挑む事になった。自分や、自分を見ている人たちに「私はヨーロッパ全土においてプロレベルで戦える」と証明しなくてはいけない。その気持ちを持って試合に挑み、いくつか間違いを犯し、それを反省したり、しなかったりもした。最高の『バトルフィールド』プレイヤーたちを相手に何度も戦っていった。そうして成長を重ねていくと、私を批判していた人たちはいつのまにか消えていたんだ。辿り着いてみればなんてことはなかった、結局彼らはなんでもない、ただネットで声だけしかあげれない程度の奴らだったのさ。それに対して私は実績を2つも残せた。
- pLineとFrDの合同チームで2013年に『バトルフィールド3』に挑み、2015年にSK Gaming相手に勝った。
- Epsilonとmeyekの合同チームで2015年末に世界チャンピオンの称号を得た。
確たる2つの実績だ。私達は挑んで、打ち立てた。それらは雑音よりも長く人々の記憶に残るだろう。
「ちょっとした休憩」、日本でのコーチング
『バトルフィールド4』は2016年。当時私はESL One 2015年冬季大会で勝ったばかりだった。名もないゼロから世界チャンピオンにまで登り詰めて、私が世界最強の『バトルフィールド』プレイヤーだと証明した。やっとすべてが始まるんだと思っていた。ここからだ、と。見てみろよ、『BF3』から『BF4』までどれほど『バトルフィールド』のeスポーツが成長したか!
そして、『バトルフィールド4』がもう2016年において競技シーンのサポートを得られないと聞いた時は「まぁいいか」と思っていたんだ。「数年頑張ってきたんだ、ちょっと休憩を入れる頃だな」って。
2015年の頃は、日本コミュニティに入り浸っていた。私は全力を尽くしてeスポーツを日本に押し広めようとしていたんだ。2016年にはJCGっていうとても大きな大会まで開催されて、そこで私はCarryMeというチームをコーチする機会を得た。そのチームはプレーオフにまで行って、日本のプロチームであるDnG(DetonatioN Gaming)を打ち破ったんだ。
競技シーンの落日、冷遇の『バトルフィールド1』
初めてのコーチ業を楽しんだ辺りで、2016年『バトルフィールド1』の発売だ。その時私は、休暇もとうとう終わりかとわくわくしていたんだ。2016年と2017年にeスポーツはますます発展を迎え、私はその中で『バトルフィールド』一筋でやっていく。そんな理想を描きながら、何日も、何ヶ月も、EAがeスポーツを開催するのを待っていた。
もちろんただ待っていたわけではなく、競技シーンの開催に備えパブリックゲームで何時間も遊び続けた。『Paladins(パラディンズ)』とか『Overwatch(オーバーウォッチ)』とかのゲームも同時平行して触れていたけど、自分のゲームを変える事がどんなに難しい選択になるかはその時に悟ったんだ。数年間かけて積み上げてきたものを全部崩すといったら、君には出来るかな?
そして2017年、EA Playで、EAは『バトルフィールド』の競技シーン向けに「Incursions」を発表した。ようやくだ! ずっと待っていた甲斐があったな!
だが期待とは裏腹に、この競技モードとやらは未完成品だった。未経験の開発チームが競技のなんたるかを知らないまま作り出したアルファ作品で、競技視聴者も3万人から一気に100人にだだ下がりだ。
堂々たるESL Oneの世界チャンピオンが、オンラインカップのたかが500ドルの賞金を求めて戦うほどに身を落としたわけだ。そしてさあここで2018年、『バトルフィールドV』だ。どうやらまだ「Incursions」のままらしい。とにかく今度こそは、口約束や空手形ではなくしっかりとしたモノを出して欲しいものだ。この「ちょっとした休憩」は、あまりに長く続きすぎている。
『バトルフィールド』の選手でいたい、BFVへの期待。
「どうしてゲームを変えないんだ?」だって?それは私のBFキャリアの裏には無数の思い出があるからだ。そのアルバムをピシャリと閉めることは難しいし、私は『バトルフィールド』をとてつもなく愛しているんだ。2012年から2016年まで『バトルフィールド』に費やした時間は1万時間を下らないし、私は全てを『バトルフィールド』と共に築いて来た。
そんな私も今年でもう27歳になる。更に1万時間、別の既に確固とした基盤があるゲームに注ぎ込めると思うかい? 私自身に才能が無いわけではない。これでも他ゲームのプロ選手から度々誘われる身だし、ここ最近はバトルロイヤルなんていう論外を除けば、新しいFPSも出ていないしね。
ただ、私のeスポーツキャリアは全て『バトルフィールド』を基盤にしてきた。そのキャリアを、まだ終わっていないと嘆くキャリアをあるべき所で終わらせたいんだ。それに、とあるゲームでプロ選手だったからといって、他のゲームでも簡単にプロ選手になれるというわけでもないんだ。プロレベルというのは維持するのがとても難しくて、今の私には単純にその時間が足りないんだ。私にはもう既存タイトルでゼロから全てを作っていく選手としての時間が残されていない。真新しいゲームが有ったらもちろん試してみるさ。だが、ここに至るまで多くの物を犠牲にしてきた。
もし君が選手はただ上手いだけで大会に勝てると思っているなら、それは大きな間違いだ。そして例え別のゲームが上手かったとしても、そのゲームのプロ選手になりたくなるわけではないんだ。私は自分の愛するゲームのために、心からプロ選手になりたいと思ったゲームのために戦いたい。
もしも今回の『バトルフィールドV』でやっと本物の競技モードが実装されるなら、覚えておいてくれ。私は今度もまたトップに君臨し、meyekと共に勝ってやる。
Source:Twitter
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コメント
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BFHさん…?